大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和41年(特わ)719号 判決

主文

被告人は無罪

理由

一本件公訴事実は、次のとおりである。

「被告人は、昭和四一年一〇月一一日公務員労働組合共斗会議主催の公務員共斗第八次統一行動における集団示威運動に指揮班責任者として参加したものであるが、右集団示威運動に参加した前記共斗会議加盟の日本教職員組合員など約六〇〇名が、東京都公安委員会の付した許可条件に違反し、同日午后一時四六分頃から同一時五五分頃までの間、東京都千代田区霞ヶ関三丁目二番地大蔵省正門前道路上において坐り込んだ際、同共斗会議議長笹川運平および同副議長曾我浩侑と共謀のうえ、右日本職員組合員の隊列の先頭列外歩道上に位置し、隊列の方を向いて左手を数回上下に振つて坐り込みを指示し、前記共斗会議加盟の日本教職員組合員など約六〇〇名を坐り込ませ、もつて右許可条件に違反した集団示威運動を指導したものである」

二〈証拠〉および「公務員共斗第八次統一行動手引」と題するパンフレット(以下手引という)によれば、右公訴事実のうち、被告人が「右日本教職員組合員の隊列の先頭列外歩道上に位置し、隊列の方を向いて左手を数回上下に振つて坐り込みを指示し」た点を除いては、充分これを認定することができる。

三被告人が日教組組合員の隊列の先頭列外歩道上に位置し、隊列の方を向いて左手を数回上下に振つて坐り込みを指示したか否かについて、証人鈴木信補〈ほか四名略〉の各証言と、証人笹川運平〈ほか二名略〉の各証言との間には完全な相違があり、前掲各写真には被告人が歩道上で左手を上下に振つた場面は撮影されていない。

手引ならびに証拠によると、公務員共斗第八次統一行動においては、その総指揮者は公務員労働組合共斗会議議長である笹川運平であり、その下に指揮班、交渉班、教宣班、総務班が設置され、被告人はその指揮班および総務班の責任者であつた。そして指揮班の任務は、行動の計画、立案、部隊の移動、その掌握等を掌ることであつた。全体の指揮については右指揮体制によるけれども、集団示威行道に際しては各梯団が組織され、第一梯団は日教組、第二梯団は自治労などと編成され、そのそれぞれの梯団の現実の指揮は、その梯団の指揮者が直接これをおこなう態勢になつていたことなどが認定できる。

また、右各証拠および亀田写真24、佐々木写真10によると、本件集団示威運動に際して、第一梯団である日教組部隊の前に笹川議長を中心にして被告人および曾我副議長のほか二名で一列を形成し、最先頭列となつて行進していたものであつて、笹川議長、曾我副議長、指揮班責任者としての被告人の三名が全部隊の最高指揮者グループであつた。また日教組の指揮者は田中圭吾であり、副指揮者は森田逸雄であつたことが認定できる。

一方鈴木(信)、斎藤、鈴木(春)、加々見、笠原の各証言は、被告人が、日教組梯団の先頭部左側歩道上で公訴事実記載のように、左手を上下に一、二回ないし三、四回振つたのをそれぞれ現認したというのであるけれども、これら証言を綜合すると、被告人が右動作をした際に、右各証人は、被告人から二、三メートルないし五、六メートル距てた地点から目撃していたことになるが、その瞬間的時間内において鈴木信補証人はすぐ隣りにいた筈の鈴木春雄、わずか数メートル離れていたに過ぎない直接の上司である笠原虎之助、同僚である斎藤義政の姿をみていない旨、証人斎藤義政は笠原課長代理がその付近にいた記憶はあるが、ほかの人は視線がデモ隊の方に向いていたのであまり記憶がない旨、証人鈴木春雄はその瞬間的な時間に笠原課長代理がどこにおつたかは記憶がない、斎藤については覚えていない、鈴木信補巡査部長がどこにいたか図示できるだけの正確な記憶はない旨、証人加々見晃平は、笠原課長代理は付近にいた、その付近にいた私服員は私の知つた人は笠原課長代理だけであつた旨それぞれ供述している。しかしこれら証人は加々見晃平を除いては、いずれも警視庁公安第二課に勤務し、当日は笠原課長代理の指揮下にあつた私服警察官であるにもかかわらず、それぞれ自分と至近距離にあつた筈の直属の上司である笠原課長代理の存在を認識せず、あるいは同僚の姿を確認しなかつたというのであり、当日は右各証人は必ずしも行動を共にしていたわけでもないのであるから、そのそれぞれが供述するような位置関係にあつたとすれば、当日の行動の中では特異な状態であつたといわなければならず、その特異な状態は充分印象に残つて然るべき筈である。にもかかわらず、これらの上司、同僚が集つた状態を正確に認識していないということは、右各証言の信憑性を疑わしめるに充分なものがあるというべきである。

そして、更に翻つて考察すると、亀田写真24では森田逸雄が両手を上げて坐り込みの指示をしていると認められる姿が写されており、森田、田中の各証言によれば、両名は列外に出て坐り込みの指示をしたと述べていること、指揮系統からいつて、被告人がさらにこれに加えて自ら直接坐り込みの指示をするということは、通常考えられないことであるといわざるを得ないこと、被告人が列外に出て歩道上を後方に歩いていつたのは笹川の指示もあつて坐り込みが整然となされているか否かを見に行つたものであるという被告人の供述、笹川証言などを併せて考えると、被告人が坐り込みの指示をするのを現認したという前記各証言は信用出来ないものといわなければならない。

右にみたとおりであつて、被告人が左手を上下に振つて坐り込みの指示をしたという事実はこれを認定するに足りる証拠がない。

四そこで、被告人が笹川運平、曾我浩侑らと共謀のうえ、日教組組合員等六〇〇名を坐り込ませた行為が犯罪を構成するか否かについて順次検討を加える。

(1)  国家公務員法によれば、その九八条第二項において公務員は同盟罷業をすることを禁止され、一〇八条の五、二項において団体協約を締結する権利を含まないものとされて団体交渉権が制限されている一面、その代償機関として人事院が置かれ、給与その他の勤務条件の改善および人事行政の改善に関する勧告をすることが定められ、二八条において人事院は毎年少くても一回俸給表が適当であるかどうかについて国会および内閣に同時に報告すべきことが義務づけられ、給与を決定する諸条件の変化により俸給表に定める給与の百分の五以上増減する必要が生じたときは、人事院はその報告にあわせて、国会および内閣に適当な勧告をしなければならないと定めると共に、六四条においては、俸給表は、生計費、民間における賃金その他人事院の決定する適当な事情を考慮して定められると規定し、代償機能を発揮させようとする。

しかし、被告人および証人笹川運平の当公判延における各供述に加えて当裁判所に顕著な事実として認められるところによれば、人事院の俸給表の改訂に関する勧告は、例年のようにその実施時期が遅らされ、その点において人事院勧告が完全には労働基本権制限の代償措置とはなり得なかつたのである。

本件当時の昭和四一年においても事情は同一であり、その完全実施をかちとろうとする気運が公務員共斗会議に起ることは当然といつていいであろう。労働基本権に大きい制限を受ける公務員がその代償としての人事院勧告の安全実施を要求することは、充分肯定できるところであり、その要求は手段を誤らない限り正当でもある。

(2)  右のような情勢のもとにおいて、人事院勧告完全実施などをスローガンとして本件公務員共斗第八次統一行動が計画され実行に移されるのであるが、昭和四一年一〇月一一日はその第一日目にあたり当日は、まず清水谷公園において集会が持たれ、次いで本件集団示威行進に移つた。

ところで前掲被告人および笹川運平、曾我浩侑の各供述によると、従来総理府では共斗会議から申入れがあれば、総理府人事局長らが、集団の代表者と会い、その際二、三百名の組合員も総理府構内まで入構することが認められるという慣行があつた。当日も、地方代表団約三〇〇名が総理府に請願行動に先発したところ、たまたま当日は入構を拒否され当局と交渉を持つことができないで、総理府前に停滞していた。そこへ、本隊である公共斗の部隊が到着し当然構内に入つていると思われた部隊が中に入つていないのをみて、笹川議長、被告人らが、一時そちらに向きを変えその経過を聞こうなどとしている間に、その場に待機していた警察部隊に規制され、お前達はまつすぐ歩けなどといわれ、これに対し、抗議をしているところへ笠原課長代理らが来て、地方代表をパクレ、総評のチンピラがなんだといい、被告人、笹川議長、曾我副議長らに乱暴を働くという結果を招来したが、結局予定のコースに従つて右総理府前を出発することになつた。しかし、右警察官の行為に対し組合員からも不満の声が起りその要求もあつて、この際なんらかの強い意思表明手段をとらなければ、組合員の志気にも影響し第八次統一行動自体の目的達成もおぼつかなくなる虞れがあると判断し総理府前から大蔵省前にいたる間を行進中、笹川議長から曾我副議長、被告人、あるいは田中圭吾などに大蔵省前で決意の表明をするため約一〇分程度の坐り込みをすることを話しかけ、曾我副議長らもこれに賛成したため、ここに、坐り込みをすることの意思が相通じた。なお坐り込みの場所を大蔵省前にえらんだのは、従来賃上げについて政府が反対した来たのも、その根源は大蔵省にあると、考えたからであつた。

(3) そして前記二において認定したように大蔵省前で坐り込みがなされたのであるが、前掲二の各証拠によると、その時間は午後一時四五分ごろから一時五三分ごろまでの間であり、その態様は、五列に並び大蔵省前歩道に接着し、グリーンベルトの間に約一車線の余裕があり(特に亀田写真31)大蔵省正門前は自動車が通行することができ(特に佐々木写真21)とりたてて交通の阻害があつたとは認められない状態であつた。

警察官は、はじめは個人的に被告人や笹川議長に坐り込みを止め立つて行進するよう要請していたが、やがて午後一時五一分ごろ機動隊がその場に到着してからは、広報車からの警告がなされ、その後五三分ころには部隊による規制が開始され、その直前に被告人は笠原課長代理の指令により鈴木信補巡査部長によつて逮捕された。

(4) ところで、被告人らの本件集団示威行進は、いうまでもなく憲法によつて保障される表現の自由の行使にほかならず、それが、形式的に集団運動の許可に付された条件に違反したということの理由で直ちに犯罪行為に該当し、あるいは、違法性を具備するに至るものといいうる筋合いのものでないことは明らかである。

また、憲法上保障された自由権の行使を制限するためには、警察権の行使は自由権の行使によつて惹起される社会的不利益と、その行使を制限される権利の性質、内容とが比較考量されるべきである。

本件においては、なるほど形式的には条件違反という結果の発生はあるとしても、本件の坐り込みは時間的にもせいぜい七、八分間のことでありそのためには特に交通が阻害されたというわけでもない。

ちなみに、坐り込みをしなかつたとしても、本件集団示威行進は車道上を通行しているのであるから、その行進のために必要とする路面は、坐り込みの場合と同等の面積が占められるわけであるし、本件の場合には、被告人の供述によると後部梯団は未だ大蔵省前に到着していなかつたのであるから、坐り込みによつて車道を占拠した実質的な障害は殆んど認められないことになる。そうであれば、被告人の行為による社会的不利益がこの程度に止まつている限り、その段階で警察権力を行使することは相当でないといわなければならない。警察としては、なお暫く事態を静観し、現実に交通が阻害されるなど具体的障害発生の蓋然性が高まつた時点において実力行使に移るべきであろう。

五すでにみたように本件集団示威行進は、人事院勧告の完全実施を主目的としてかかげたものであつて、公務員として正当な要求活動である。また、その行進の途中、総理府前で警察官の過剰な規制行為にあい、これでは組合員の志気にも影響し第八次統一行動自体の目的達成もおぼつかなくなる虞れがあるとして、本件坐り込みをするにいたつた経過からみると、その坐り込みも右正当な目的を持つ集団示威行進と不可分一体の関係に立つ行為とみられ、その坐り込みによる交通阻害は殆んど皆無にひとしかつたなどの点から考えると、被告人らの本件行為は、その目的において正当であり、手段において相当であつたものということができるし、また、被告人らに右のような事情のもとにおいて大蔵省前での短時間の坐り込み以外の方法によつて、その時点における集団意思の表明をおこなうことを要求することは酷に過ぎるものというべく、結局被告人らの本件行為は社会的秩序に反するものとはいえず、社会的に相当な行為として、違法性が阻却され、罪とならないので刑事訴訟法三三六条により被告人に対し、無罪の言渡をする。

なお、当裁判所は、昭和三五年七月二〇日の最高裁判所大法廷の判決が現在変更されるべき事情のもとにあるとは認められず東京都公安条例が違憲であるとする見解には左袒できないし、また条件付与が憲法に違反するとも考えられない。

ただ、この条例の運用如何によつては、国民の権利が不当に侵害される虞れがあるので、これを運用するものは、常にこの点に意を用いなければならないことは当然のことである。

よつて、主文のとおり判決する。(大関隆夫)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例